Prokumaの雑記

限りなく日記帳に近いブログ

2023年を振り返る

2023年も残り少しである。世界も激変の年であったが、自分にとっても激変の年であった。 本記事では、2023年に自分にどういった激変が起こったのか、ひたすら振り返ってみる。

一月から三月

発達障害と診断される(二月)

これは記事として書いたことがある。 小さい時から周りに馴染めず浮いていたり、異様に感覚に敏感だったり、あまり好きでない科目の集中力が10分も持たなかったりなど、薄々気づいてはいたものの、中学時代にはこの仮説を親に否定され、「みんなそうなのかな」と思い込んでいた。 学校にも馴染めず、認定試験で高卒になりたいと言っても、親は世間の偏見を恐れてか、頑固に反対し、結局嫌々と学校に通っていた。

晴れて大学に進学し、そこそこ楽しい大学生活を送っていた。人生で一番幸せだった瞬間かもしれない。しかし、詳細は伏せるが自分の力ではどうにもならない事象をきっかけに3年の前期が始まる直前くらいから精神状態が悪化、「適応障害」という診断を受け取る。薬も処方されたが、太るだけで効き目はほとんどなく、毎日辛い日々を送っていた。 あまり効き目がなく、副作用で太るだけだと強く主張しても診断は変えず、「それくらい耐えるべきだ」まで言ってくる当時の通ってた病院の医者は言っていた。 しかし、やってみたいことがあったので大学院に進学したが、多少は良くなったものの精神状態が劇的に良くなったわけではなく、落ち込んでいるまま研究もあまり進まず、結局精神科の受診を勧誘された。

そこでは発達障害の傾向があると言われ、ストラテラを処方された。作業効率はともかく、今までの薬が効かなかったのが嘘のように精神状態が次第に良くなっていくのを感じ、少し前向きに人生を考えるようになった。 その「きっかけ」となった事象が結構重く、それを先に聞いたら「適応障害」と診断するのも仕方ないとは思うが、これが主な原因ではないということに気づいた。この時期から研究の進捗が少し良くなっていった。

博士課程の入試に合格する(三月)

博士課程に進学するのはその前から決めていたことなので、内部進学の特別入試を受験し、合格した。 受験番号を見るからに全員合格してそうだったが、20分間の発表と20分間の質疑応答はそこそこ重いタスクではあった。 合格自体は難しくなかったものの、嬉しいことではあった。

四月から六月

M2の始まり(四月)

M2になった。新しく入ってきた新入生もいて、年度の変わり目を感じた。 なんの変わり映えのない四月だったが、将来のことで焦り出した時期でもある。

留学生集まるオープンチャットに入って交流を始める(四月)

思いつきて留学生が集まるようなオープンチャットに入ってみることにした。 主に日本への留学を志す受験生が集まるようなところだが、在学生も割といる。そこで今までの自分の経験を共有するとともに、忘れかけている韓国語の練習もしたいと思っていた。 自分で調べなくても韓国の最新トレンドの情報が入ってくるのは楽だと思った。あと、自分が知らないローカルな情報を教えてもらったりするなど、今も適切に活用している。 自分が受験生を手助けすることもあるたまにある。それとともに、「普通」に近い集団との交流にもなり、自分の市場価値について再認識するきっかけにもなった。

学振DC1への応募(五月)

やはり今の研究テーマにあまり興味を持てず、「自分で真新しいハードウェアを作ってみたい」と思っていたことから、博士課程からは全く異なる研究テーマをしたいと思い、学振申請書を作成しながら研究計画を立てていった。 AIチップの開発が盛んになっているこの分野において、あえてAIと関係ないハードウェアの研究をしてみたかった。 考えていることを、申請書に打ち込み、学振特別研究員に応募した。

インチュニブへの変更(五月)

ストラテラが集中力の改善にはつながらないことを伝え、インチュニブを試してみることになった。 ストラテラよりは集中力が改善されたような気はするが、劇的というほどではなく、睡眠に影響をきたすなどの副作用が見られた。 高い薬価も負担になった。

七月から九月

コンサータへの変更(七月)

インチュニブの効き目が弱かったので、コンサータへの変更となった。 18mgからの開始となったが、あまり効き目は感じず、27mgになってから少し感じ、36mgになってから効果を実感できた。 この時期から研究の進捗が以前より圧倒的に早くなり、健常者に近いの集中力を引き出せるようになったと感じる。 処方されたコンサータ

初対外発表(八月)

函館アリーナで開催されたSWoPP 2023において、研究成果を発表した。 その後の国際学会を目指した方が良かったかもしれないが、函館ということで「ラブライブ!サンシャイン!」の聖地巡礼をしたいと思い、函館で発表をすると決めたのである。 コンサータの副作用も相まって発表前後は物凄く震えていたが、無事発表を終えることができた。ついでに、Saint Snow聖地巡礼もできた。 鹿角理亞の自室のモデルとなった部屋。Saint Snowのグッズで飾られている。 函館山からの夜景。決して北海道の南の先っぽの全てを写しているわけではない。

旧友に出会う(八月)

少し寄り道して東京で働いている学部時代の友人三人に出会った。 代々木の少し高めな飲食店で出会い、短い時間ではあったが再会できて良かった。 食事後はそのうち一人の自宅に泊まり、実際エンジニアとしての経験を聞くこともできた。

資格外活動許可(個別許可)を取得し、個人事業主としての活動を開始する(八月)

特に「たくさん金を稼ぎたい」というわけではなく、小さな実験をやってみたかっただけだった。 しかし、コストを自腹で全部賄えるとは到底思えない、どうしてもビジネスモデルを導入するしかない。 そのために入国管理局で個別許可を取得し、開業届を出したが、、、そんなことやる余裕なんてなかった。 来年には少なくとも展開はしてみたい。

二回目の中間発表を行う(九月)

二回目の中間発表があった。ほぼ八月の発表と同じで、同様の指摘を受けた。 といっても、全く進まないと思っていた研究が、ある程度形になっていて発表できたことには感心した。 これからも先、頑張れる気がした。

不安状態が続く(九月)

コンサータの副作用だったと思う。毎日飲み続けたら不安状態が続いた。 これから先が全く見えなく、世間からみたら絶望的な状況でもないけど、明日のことも読めないことが不安の発生源だったと思う。 コンサータの副作用がそれを加速させたかもしれない。 一時的に服薬をやめたら和らげたので、毎日は飲まない方がいいことに気づき、今も休日は飲んでいない。

久々の帰省と何年も顔合わせていない親戚との再会(九月)

発達障害診断について家族と真剣に話し合おうと思い、ほぼ一年振りの帰省を決意した。 ちょうど大型連休とかぶっていたので、何年も顔合わせていない親戚とも再会できた。 数年見てなかった間に小学生だった従兄弟が高校生になっていて顔も認識できなかった。

親戚のラーメン屋。下手な日本のラーメン屋より美味い。なんなら日本でもやっていけるくらい。 見知らぬマンション群が立っていた。住み心地悪そうというのが自分の素直な感想。

DC1不採択となる(九月)

ちょうど帰省している時に結果が出たので確認した。 不採択Cだった。適当に出願者から偏差値出してみた感じ40ちょいくらい。 Webエンジニア的にはとても嬉しい計画だが、研究者から見たらくだらない計画だと思われるのかな。 少なくとも似たような研究はほぼないに等しいのに。

十月から十二月

旧友に出会う(十月)

帰り道を福岡経由にしたのでまだ福岡にいる旧友に会った。 内部進学した学部時代の同期にも会ったので、互いに近況報告もしていた。

びっくり焼き。美味い。

睡眠障害がひどくなる(十月)

睡眠障害がひどくなった。原因不明だったが、寝ても寝ても疲れが取れず、ずっと眠かった。 最初は睡眠無呼吸を疑っていたが、診断結果「あるにはあるけどひどい睡眠障害起こすほどでもない超軽症」とのこと。 耳鼻科に行った方がいいと言われたので、耳鼻科に行ったら「副鼻炎」とのこと。 しかし、副鼻炎は良くなったが睡眠障害はあまり改善されなかった。 原因特定ができず、途方に暮れていたが、まさかアレが原因だったとはな、、、

就活を決意する(十一月)

アカリクラウンジNAIST店ができ、早速常連になった。 アカリクによるキャリア相談もあったので、特殊な事情を打ち明け、アドバイスを求めた。 今までそういう求人ないと思っていたのが、なんと「割とある」とのこと。 その言葉を聞いて就活を決意した。

不眠の原因特定と解消へ、安定期に入る(十二月)

原因不明の睡眠障害だが、適当にYoutube見ていたら「ゾルピデムで不眠が治るところがひどくなった」との動画が流れてきた。 そこで早速調べてみたが、なんと離脱症状としてそういうのが現れることもあるらしい。 その説を医者に伝え、別の眠剤を処方してもらった。 それ以降は不眠は解消され、安定期に入った。

初国際学会への提出(十二月)

なんとか頑張って実データによる検証もできたので国際学会に論文を出すことにした。 初めて英語で論文を書いたが、英弱な自分にはとても難しいタスクだった。 おそらくデータ取るより英語書くのが何十倍も難しかった。 なんとか投稿したので、結果待ち。Reject喰らったら学振不採択より悲しくなりそう。

総括

今までの人生で最も出来事が多かった年だった。厄年とか信じてなかったが厄年感しかない。 しかし、厄祓いせずに厄に正面から向き合うことで成長できた一年だったかもしれない。 再起できそうな気がしてきたし、来年は本領発揮できればいいと思っている。

大学受験生への底辺院生からのメッセージ

半年とちょっとくらい前から韓国から日本への留学を目指す受験生の集まっているオープンチャットにいながら「ニュースだけだとわからない韓国内の事情」に関する情報を集めている。 もちろん、自分自身の忘れかけている韓国語力を保つための練習のためでもある。 しかし、自分の受験時代よりも「受験」で人柄を判断しようとする傾向が一層強まったことに絶望感を抱いた。 百歩譲ってモラルの問題はないにしても、異様な「受験」とそれによって得られた「肩書き」に対する執着が受験生自身を押し殺している非常に哀れな姿を見て残念だと思っている。 その現象を見て思ったことを、この記事に書いていく。

そもそも彼らは「なぜ」そうするのか

「生存」が大きいが、根本的な問題は他にある

韓国が「超学歴社会」だということは日本中でも広く知られていることであろう。 これは、「生存」のためだと容易に考えられ、実際そうでもある。 しかし、果たしてそれが根底にある原因なのかという疑問に対し、自分の答えは「ノー」である。

メリトクラシー」という言葉はご存知だろうか。「能力主義」とも訳される言葉である。 能力によってその能力を活かせる場所で優遇されるのは我々が生きている社会の仕組みである。 このような現実は否定できない。しかし、「能力主義」の「能力」は一般的に考えられる能力とは少し違う。 可視化された「能力」が社会的優遇の基準として真っ当だという考え方だと捉えた方が近いだろう。 このようなメリトクラシーは、まだ世襲よりはいい仕組みかもしれない。 また、成果の分配において、このようなやり方を採用せざるを得ない現実もある。 問題は、メリトクラシーが「世界の唯一つ存在する真理」であると考えることである。

受験戦争の根底には、「メリトクラシー」とそこからの可視化された「能力」に対する崇拝にあるだろう。

「能力」は果たして「公正」な「モノサシ」なのか

彼らは「能力」を「公正」な「モノサシ」だと考えているのである。 ペーパーテストを受け、その点数で大学名が決まり、その大学名で「差別」をするのが当たり前だという考え方が根底にある。 もし「能力」が低いと、その「能力」向上のために「努力」しなかったのが悪く、給与・待遇等で「差別」を受けるのが当たり前、のような考え方が見受けられる。 一見「正当」に見えるが、果たしてそうなのか。

まず、その可視化された「能力」が社会において役立つ本当の能力を全て可視化できているかの問題がある。 もちろん、現代社会において重要視される能力と受験で可視化された「能力」に共通部分は少なくないが、これだけでその人の潜在力を知ることはできない。 限りなく限定された評価軸と、そのために無理矢理「次元圧縮」した結果である「能力」で「差別」をしてもいいかを、私から問い掛けたい。

可視化の「方法」が完璧なのかに対する問題もある。先ほど述べたとおり、可視化するためには無理矢理「次元圧縮」をする必要がある。 そのため、たとえ社会に「必要とされるであろう」と判断した評価軸を全て洗い出し、その次元に人の能力を「次元圧縮」しても、 失われた情報が実は大事なポテンシャルだったかもしれない。もちろん、一般的に高いポジションとされるところには活躍できそうな人材を採用したいのは当たり前だから、 評価軸を立て、「次元圧縮」を行うのは仕方ない。問題は、そのような評価軸を「崇拝」することである。

一見「公正」で「正当」であるように見える社会的ポジションに関係する可視化ツールも、さまざまな問題を抱いている。 「モノサシ」の存在は仕方ないが、それが絶対的に「公正」であるかというと、そうとは言えない。

「現状」は仕方ないが、「現状」が「真理」ではない

先ほど述べたように、「モノサシ」による評価と待遇は仕方ないにしても、それが「真理」ではない。 「真理」だと信じ込んでしまうと、数少ない「モノサシ」に必死に自分を合わせようとし、やがて誰も得しない結果を導くことになる。

受験生に伝えたいこと

大学受験・学歴は「モノサシ」の一つ

大学受験と学歴が「無駄」とは言わない。現代社会において求められる能力の少ない部分を評価する「モノサシ」であることは確かである。 しかし、先ほど述べたように、「モノサシ」というのは絶対的な「真理」ではないため、「崇拝」してはならないことである。 これが「真理」だと信じ込んでしまうと、結局自分が望まぬ結末を迎える可能性も大いにある。

「モノサシ」は必要だが、「信者」になるのは良くない

このような「モノサシ」の存在意義を全否定することはできない。現代社会において、このような評価は仕方ないのである。 しかし、「信者」になってしまうとやがて自分が不幸になる可能性が高く、世界観が「モノサシ」に限定されてしまうリスクもある。 受験に向かって勉強するのは尤もな姿勢だが、あまり「試験」や「学歴」にこだわらない方がいい。

受験の目的を顧みてほしい

受験の目的が受験という「モノサシ」で有名大学の合格という「業績獲得」のためだけではないかを顧みたほうが良い。 もしそれであれば、過度な「メリトクラシー」に毒されていないかを考えてみてほしい。 自分で自分の首を絞めることになりかねない。

最後に

これ以上伝えることはない。受験の目的が確固たるものであれば、「頑張れ!」

「それってあなたの感想ですよね」に対する考察

ひろゆきの発言「それってあなたの感想ですよね」はよく聞くような言葉ではないだろうか。最近小学生などでも流行っていて学校の教員たちが手を焼いているようだが、ここではこの言葉に対する論理的考察をしていきたいと思う。

1. 「感想」だからといって「間違っている」わけではない

まず辞書での「感想」の定義を見てみよう。Oxford Languagesによると次のようだ。

ある物事に対して心に生じた、まとまりのある感じや考え。所感。

つまり、その人からの主張全てが「感想」となり得る。相対性理論アインシュタインの「感想」だし、万有引力ニュートンの「感想」である。 正しい、正しくない以前の問題、「あなた」からの意見であれば全て「あなたの感想」と言えるのである。

もちろん、ひろゆきの「それってあなたの感想ですよね」は「その主張はあなたのような人種「だけ」が思うような「感想」であって、社会一般で受け入れられている「公理」から「導出」できないため、あなたらの主張はこの「公理」からして間違っっている」のような意味が込められているとは思う。しかし、流行りの言葉として使っている人々がこのような意味合いで使うことはあまり見かけない。

すべての相手の主張に対して「あなたの感想ですよね」は真となるため、この命題に対して反論はできない。 他人の主張となる命題において、この命題は論理学でいう「トートロジー」なのである。 場合や状況を考慮せず、「あなたの感想」というのは議論として意味をなさない。

また、その人の主張であれば全ての命題において「あなたの感想」は真になるが、その命題に対する「論証」にはなっていない。 真か偽かの答えにはなっておらず、「あなたの「感想」だから間違っている」との一点張りにしかなっていない。

「あなたの感想」を引用するなら、相手の主張が「あなた(だけ)の感想」であることの根拠を提示するべきである。

2. どうやって言い返せばいいか

ほぼ1で答えは出ている。「あなたの感想ですよね」が「トートロジー」であると相手に気づかせればいい。 具体例をいくつか挙げてみる。

  • 「それってあなたの感想ですよね」もあなたの感想ですよね?
  • 自分の感想で合っているけど、それが間違っている証拠にはならないですよ
  • あなたの意見こそ、あなたの感想ですよね?

もちろんひろゆきのような場面でこの言い返しは通じないが、適切な主張の根拠もなく「あなたの感想だから間違っている」と主張する人には効くと思う。

3. 終わりに

もちろんこの文章自体、自分の「感想」である。全ての主張は、「感想」となり得るためである。 「あなたの感想」が「論証」にならないことだけ覚えてほしい。 素人の適当な意見だが、「ひろゆきキッズ」に手を焼いてる大人は参考にしてほしい。じゃまた。

発達障害と診断されたという報告と薬を飲んで感じたことなど

お久しぶりです。Prokumaです。

先週木曜日、精神科を受診してASDADHD両方あると診断されました。ちょうど一週間経った今日ですが、ADHDの薬を飲んだ感想を述べていきます。

昔を振り返ってみる

実は昔から「自分ももしかして....」と思ったことはありました。小中高通して周りと自分が違うことに違和感を覚え、不登校にはならなかったけど(というか親が強制的に通わせたけど)学校生活に困難がありました。一応人から聞かれたら「友達」と言える存在はいましたが何かしらの壁を感じ、自分的には友達と感じた人は高校時代まではネットで知り合った人だけでした。 中学時代はいじめにも遭いました。高校になっても同じ中学からきた一部の奴らが自分を障害者扱いしているようなことも感じました。僕は自分が何がおかしいのかわからなかったのですが、どうやら独特の喋り方をしていたっぽいです。僕はそれが何なのかよくわかりませんが、それで僕をからかっていることは感じました。 陰湿な嫌がらせは高校に進学したら頻度は減ったのですが、存在はしていました。幸いにもほとんどの生徒は僕に嫌がらせはしなかったので、そこからのストレスはほとんどなかったのですが....

集団行動が極めて苦手で、形式上選択肢のあるものに関しては規定を根拠に拒否していました。修学旅行とか、自分に嫌がらせをしてくるようなやつと同じ部屋になって同じ行動をとり、また教員の指示に従わなければならないのに費用は家庭から集める、そんなコスパの悪い旅行は行きたくないと思い、思うことをそのまま担任に伝えたら呼び出されたり...

中学時代までは成績が良かったのですが、高校に入学してから成績がクラスビリレベルまで落ちました。実を言うと今まで受験勉強というものにまともに集中できたことはありません。一部の興味ある科目を除き、集中力は10分も持ちませんでした。もちろん普通だとまともな高等教育を行うような大学には進学できませんが、戦略と運が良かったのか一流ではないもののそういった大学には入れました。 大学時代の成績は良い方でしたが、高校時代までの趣味で積み重ねた知識があったから耐えたって感じですね。まともに試験対策やった覚えはあまりない....

日本語の習得も考えてみればこういった傾向からなのかもしれません。英語も韓国語も文字に関しては大して面白みはありません。表音文字で、子音と母音を組み合わせて音を表現する理にかなった文字(アルファベット、ハングル)を採用していますが、正直文字と発音に興味がある僕には物足りず、興味を失いました。 日本語の場合、もちろん表音文字である「かな」はありますが、一般的な日本語の文章において漢字は欠かせません。しかも日本語においては漢字の読み方は一つではなく、複数あり得ます。もちろん非効率的で学習コストも高いのですが、その点に興味を持っていろんな漢字を覚えるのを趣味としていました。 漢字という文字と好きだったので、漢字と日本語を覚えた以来、僕のメモからハングルは消えました。自分が書いたハングルがあまりにも醜すぎてそれを見たくなかったのもあります。また、当時はあえて漢字で書かなくていいところ(例:あの、この、その、まで)まで漢字で書いてました。何とか頑張ってその癖は治せましたが...

僕を実際何回か会ったことのある方ならわかると思いますが、私服のパターンが非常に少なく、「毎回同じ服着てる」と感じるかもしれません。実際そうだし、服のパターンも非常に限られています。「服にお金を使いたくない」という価値観も大きいですが、それだけではなく新しい服に慣れるまで時間がかかり、また肌にくっつく系の服はどうしても頭が受け入れられず、着れないから選択肢も限られています。同じ理由で腕時計もいつも着用するのはできず、「Apple Watch便利そうだな」と思いながらもいまだに購入を躊躇っています。どうせその感覚に耐えられず結局着けなくなりそうなので... 寒い日も手袋やマフラーをすることはありません。僕にとって手袋やマフラーの感覚は-20度の冷たい空気に露出された手や首から感じる寒さよりも耐え難いものです。

思いうかんたことをそのまま書いたら記事の体裁が完全に崩壊してしまいましたがこういう系のエピソードは断続的に結構発生していたので....過去の振り返りはこれくらいにしておきます。

今回精神科を受診したきっかけ

薄々自分がこういった発達障害的特性を持っていることには気づいていましたが、一般的な発達障害のイメージと自分は結構かけ離れていたため(特にASD)「まさかね....」と思って受診を躊躇っていました。 しかし、大学院に入って、短期決戦で全てが解決できた学部時代の課題やバイト先のタスクとは違い、長期的に打ち込めないと完成できないことになかなか集中できず、研究が全く進みませんでした。また、そこからのストレスがADHDによって拡大再生産され、自分を苦しめ、研究にはなおさら集中できなくなりました。 それでもまだ躊躇っていましたが、周りから背中を押され、先週木曜日精神科を受診しました。

ADHD薬を飲んだ感想

おそらくこの体裁が完全に崩壊している記事を読んでいるみなさんが一番欲しい情報ではないでしょうか。 僕は薬をもらったときも「ふーん」って感じで、あまり薬の効果に期待はありませんでした。「飲んだところでそんなに劇的な変化はないでしょ」と思い込んでいました。 しかし、その翌日薬を飲んでからしばらくして自分が考えていたことがただの思い込みであることがわかりました。僕はメガネをかけないと目の前にある物体以外全部ぼやけて見える程度の近視も持っていますが、薬を飲む前後の変化は、メガネをかけていない時とメガネをかけている時の違いでした。 今まだ普通だと思っていたこの感覚が、実は普通ではなく、それも発達障害によるものだったことがわかりました。

まずこの薬の効果として、謎のイライラや頭痛などが消えました。また、ストレスレベルも下がり、日常生活に支障のないレベルになりました。 あと、今まで理解に苦しんでいて脳が拒否していた本やドキュメントの中身が頭の中にすんなりと入り、理解できるようになりました今までの人生って何だったんだろう...と哲学的な疑問を抱かせるような経験でした。 作業効率も以前と比べられないほど上がり、ある事象に対してずっと考えられる時間も倍以上になりました。

副作用は、すごい眠いです。1日中4~5時間程度しかまともに動けず、残りはゾンビか屍のような状態です。慣れればマシになるのかな....実は今も結構眠いです...

終わりに

一つだけ言わせてください。個人差はありますがADHDであれば薬を飲むことにより劇的に変化します。仕事などで何かしら上手くいかない、またそれで大きなストレスを感じているのであれば、僕みたいに躊躇しないで欲しいです。

今回は以上です。じゃまた。

なんとなく最近の韓国の不動産市場を見て思うこと

このブログでこのテーマは珍しいと思います。 僕の専門でもないし、そんなに興味なかったので見てませんでしたが、最近の韓国の不動産市場で興味深いことが起きていたのでここで紹介したいと思います。

韓国にしかない賃貸制度、「チョンセ(伝貰)」

普通賃貸といえば月いくら払って住む権利を得る、そういうものだと思います。もちろんそのような制度は韓国にも存在し、「ウォルセ(月貰)」といいます。 世界どこに行ってもあるような制度だとは思いますが、韓国にしかない、類似事例を探してみても十本指で数えられるくらいしかない制度があります。それが今回紹介する「チョンセ」です。

チョンセは、不動産を媒介とする金銭の貸し借りです。入居者は家主に買い切りの金額の一部を家主に貸し、利子をもらう代わりに家主がそのお金を返すまで家に住む権利を得ます。場合によって違いますが買い切りの6~9割程度だと思います。 韓国語で「セ(貰)」は、賃貸を意味します。国も認めている立派な賃貸契約です。

これを見てみなさんこう思ったのではないでしょうか。「家主は後に返さないとならない金額を借りて人を住ませるのか、普通に月毎にお金もらったほうがいいのでは?」と。まぁ、普通に考えたらそうですよね。固定的収入も得られないこのような賃借契約をなぜするのか、疑問に思ったのではないでしょうか。 この制度が定着した経緯は韓国が発展途上国だった時代に遡ります。1970年代韓国では、独裁政権による経済発展が進み、輸出に国のすべてを投入していた時代でした。当時の韓国の金利はすごく高く、一般的な銀行のローンの利息もアコムレベルでした。また、銀行にお金を預けるだけで利息が10%以上つくような時代でした。 そこで不動産を持っていた家主たちはこう思ったわけです。「家に人を住ませてお金を利息0%で借り、銀行に預けておけば儲かるのでは?」と。 定着したきっかけはこれですが、今回紹介した現象は少し違う話です。

金利時代への突入

コロナ禍が始まり、韓国銀行は利下げを断行しました。銀行でローンを組んでも利子負担がそんなに大きくなく、これを機に住宅を買う人が増えてきたわけです。今まで大きな利子負担を恐れてローンを組めなかった人も、ローンを組んで住宅を買う人が増えました。 これだけ見たらみんな幸せになったと、思ったかもしれません。しかし、これによって住宅購入の需要が爆発的に増えました。結局どうなったか、住宅価格が高騰しました。 韓国の不動産価格はその前から上がっていましたが、韓国銀行の利下げによりその上昇は爆発的になりました。ローンを組んでも家を買いたい人が増えたからです。

ギャップ投資

勘のいい人ならもう気づいたと思います。不動産価格がずっと上がるという期待、そしてチョンセという無利子ローン、ここで家主がやることはもう決まっています。既に持っている不動産でチョンセで金を借り、借りたお金でまた不動産を買うことです。どうせ不動産価格は右肩上がりなので、恐れる必要はありません。これの繰り返しをやればいいわけです。もしお金が足りなかったら金利の低いローンを組んで不動産を買えばいいです。 不動産価格は上がり続けました。チョンセは無利子ローンだし、国民の半数以上が集合住宅に住んでいる韓国の事情もあって人が住んでいただけでは不動産の価値は落ちません。上がった時に不動産を売って家主は結構なお金を稼ぐことができました。これを「ギャップ投資」と言います。この投資方法の本質を貫いている言葉とも言えます。これでみんなお金持ちになると思っていました。しかし、現実は違いました。

バブル崩壊

永遠に上がると思っていた不動産が最近暴落しました。韓国銀行がアメリカに沿って基準金利を上げ、ローンの利子も上がりました。自然とローンを組んで自分の家を買おうとする人も減りました。ローンとチョンセで借りたお金は不動産暴落により不動産を売り払っても返せなくなりました。 悲劇はここで終わりませんでした。「もっと不動産価格が落ちる」という期待があり、不動産の取引も減り、安く物件で出しても買ってくれる人はなかなか現れません。 「ギャップ投資」でお金を稼ごうとして無理にローンを組んでいた人たちは絶望しました。頑張って働いても返せないほどの借金を負うことになりました。これが僕が紹介したかった最近の韓国の不動産市場での出来事です。

自分が思うこと

バブルは世界的に何百年も繰り返して発生している伝統(?)です。正直どこでどのようなバブルが発生してもおかしくはありません。 バブルが発生した時はこれがバブルか否かを見抜くのは非常に難しいことで、バブルかどうかは投資した後に気づくのがほとんどです。 政府の規制は上手いこと動作しないと個人的には思っています。政府が上手くバブルを抑制できたとしても結局法が整備されていない他の分野でバブルが発生し、政府がそれを規制するまではものすごく時間がかかります。政府が手を出したときはもう遅いです。 政府を当てにしてはなりません。国家は対策を打つまで時間がかかり、対策を打つときはもう手遅れかもしれません。 一攫千金に対する欲望は誰にでもあります。その一攫千金の夢が集まってバブルを形成します。このバブルで一攫千金の夢を叶える人が存在するのは事実です。しかし、「価格上昇がこれからもずっと続く」という発想自体、非常に危険で、元手まで全部失うことになるかもしれません。 安易に一攫千金を目指し、「これからもこの現象はずっと続く」と安直に思ってローンまで組んで投資するのは非常に危険なことだと思ったできことでした。 今回は以上。

卒業論文を提出しました/ 少しだけの近況報告

こんにちは。Prokumaです。今回は簡単な報告と少しだけの雑談をしようと思っています。

卒論提出

昨日卒業論文を提出しました!あとは発表だけですね。 試作ができなかったりシミュレーションが上手くいかなかったりして学術的な価値は0に近いですが、 一応書き上げたので勝ちとしましょう。

近況報告

退去手続き

引越し業者の予約以外はほぼすべて済んでいます。 インターネット回線の撤去作業の関係で3/31まで飯塚に残ることになりました。 九工大情報工のみなさん、3月いっぱいまでよろしくお願いします。

入学手続き

顔写真を貼付して郵送するだけです。何も難しいことはありません。

入居手続き

入居希望の書類を出しました。結局住居はURになりました。実は寮の単身室の360°画像を見てショックだったので... それ以外はインターネット回線の予約だけ済んでいる状況です。 家具とか家電とか買わないとならないのですが(運搬費用の方がもっとかかるので)思ったより高い...

今後の予定

引越しに関しての記事を後日投稿する予定です。お楽しみに!

今更書くNAIST受験記

ご無沙汰しております。Prokumaです。 完全にこのブログの存在を忘れていましたw 今後も時間があるときに記事を投稿していこうと思います。

挨拶はさておき、今回は今更感が半端ないNAISTの受験記を書いてみようと思います。

目次

1. 筆者の成績・出身など

外国人ではありますが、NAISTの受験に留学生入試はありませんし、日本の皆さんと同じく日本語で試験を受けたので参考にしていい情報だと思います。

2. なぜNAISTを選んだか?

出身大学(九州工業大学)にはやりたい分野の研究をやっている研究室がなかったから外部院進したいと思い、外部院進を決定しました。 候補として上がったのは東京大学京都大学(元々は大阪大学だったが教授の異動により京都大学へ)、東京工業大学名古屋大学筑波大学NAISTであったが東大はTOEFLしか認めず英弱の自分には無理だと思い受験を諦め、名大は諸事情により候補から削除。 残ったのは京大、東工大、筑波大、NAISTだったが京大は院試の範囲が広く(結構志望校が決まったのが遅めだったので)間に合わないと思い候補から削除。 東工大の場合は希望の研究室の希望人数が多く、希望の研究室に配属されない可能性が高かったため候補から削除。

最終的に受けたのは筑波大とNAIST、あと滑り止めで受けた自校でした。やりたい分野的にNAISTの方が近かったためNAISTを第一志望にしました。 受験結果は筑波大は不合格、他は合格で最終的にはNAISTへ進学することを決定しました。

3. 出願までの道のり

3.1 研究室訪問

知人からNAISTの受験を提案され、調べてみた結果自分がやりたい分野の研究室があることを知り、まずアポを取りました。 九州からなので研究室の説明会にはとても間に合いそうになく、別日程で夜行バスで大阪に向かいました。確か4月の中旬だったと思います。 教員から研究分野についての説明を聞き、研究室の設備を見ました。自分的にはとても興味のある分野であったため、大阪のホテルに戻る電車で受験を決定しました。

3.2 小論文

一番苦労したところです。出願が確か6月ごろだったかな?提出の三週間前から書き始め、いろいろ調整してやっと提出しました。

学部3年までの修学内容と卒業研究、これからやりたい研究分野が違いすぎてつなげるのも大変でした(結局諦めて直接・間接的に関係が〜のように書きました)。 研究室のメンバーと連絡をとりながら添削してもらった方がいいと思います。自分一人で悩んで書いてもひどい文章になる可能性が高いので…

3.3 英語

既に2月の試験で運よくTOEIC 700点が取れたのでこれでいいと思って700点のスコアシートを提出しました。何点くらいがボーダーかはわからないのでなんとも言えませんが、自分が700点で受かっているので700点あれば十分だと思います。しかし、他の要因で落とされる可能性もあるので英語の成績だけを信じて他を疎かにするのだけはやめましょう。

3.4 数学

マセマシリーズに頼りました。ひたすら読んで、解いて、繰り返し。これ以上言うこともありません。

3.5 外国人の友よ、これを読んでくれ給え(Dear my foreign friends, Please read this section)

永住者(えいじゅうしゃ)および特別永住者(とくべつえいじゅうしゃ)を除(のぞ)く外国人(がいこくじん)は、出願前手続(しゅつがんまえてつづ)きをする必要(ひつよう)があります。 これをしないと受験(じゅけん)できません。 詳細(しょうさい)はホームページを見(み)てください。

If you are not permanent resident of Japan, You are required to complete the prescribed procedure prior to an application. If you don't do that, you could not take the exam. PLEASE READ THIS PAGE!

영주자 및 특별영주자를 제외한 외국인은 출원전 수속을 할 필요가 있습니다. 이걸 하지 않으면 출원이 불가능합니다. 자세한 사항은 홈페이지를 참고하시길 바랍니다.

4. 出願

いよいよ出願です!TOEICと小論文と大学の成績証明書等を出します。これといったことはありませんが、出願書類は手書きではなくパソコンで入力するのが勧められています。以上!

5. 試験当日

面接は数学(線形代数解析学)の口頭試問と面接それぞれ10分程度で行われます。オンライン面接だったのですが、待ち時間まで含めたら40分くらいかかりました。

5.1 数学

最初の問題は線形代数の証明問題でした。なんとか数式では表したものの言葉でなぜそうなるかが上手く説明できず終わりました。 二問目は解析の問題。不等式が成り立つかどうかの問題でしたが、これは簡単ですぐ解けました。 線形が難しめ、解析が易しめだったので自分的には平均くらいかな?

5.2 面接

小論文に書いてある内容についての質問が飛んできます。本当に書いたことに対して理解しているのか、その研究をするための基礎知識はあるのかを試されます。その他にもD進するの?とかの質問もありますが、難なく答えられると思うので小論文の内容についてしっかり覚えて関係する知識がしっかりついていれば問題ないと思います。 あとプログラミングスキルについての質問もあるので、関係学部・学科の方は平素からプログラミングスキルを磨いておけば良いでしょう。

6. 結果

前述の通り見事合格しました!研究室の内定はあり、寮の優先権はなしでした。入試の成績は入学したらまた更新すると思います。

後書き

自分でもある程度まとめておきたいなーと思って卒論で忙しい時期ではありますがまとめてみました。文字だらけの読みづらい記事ではありますが一つのデータとして参考になればなと思います。

これに関する質問は随時受け付けています。自分が答えられないかもしれませんができる限りの範囲で答えます。コメント、TwitterのDM、質問箱、メール、どれでも関係ありません。 しかし、お願いがあります。捨て垢でDM送るのは控えてください。僕が怖いので… メールの場合、できれば所属を明らかにしてほしいです。名前はハンネでいいですが。

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