Prokumaの雑記

限りなく日記帳に近いブログ

2023年を振り返る

2023年も残り少しである。世界も激変の年であったが、自分にとっても激変の年であった。 本記事では、2023年に自分にどういった激変が起こったのか、ひたすら振り返ってみる。

一月から三月

発達障害と診断される(二月)

これは記事として書いたことがある。 小さい時から周りに馴染めず浮いていたり、異様に感覚に敏感だったり、あまり好きでない科目の集中力が10分も持たなかったりなど、薄々気づいてはいたものの、中学時代にはこの仮説を親に否定され、「みんなそうなのかな」と思い込んでいた。 学校にも馴染めず、認定試験で高卒になりたいと言っても、親は世間の偏見を恐れてか、頑固に反対し、結局嫌々と学校に通っていた。

晴れて大学に進学し、そこそこ楽しい大学生活を送っていた。人生で一番幸せだった瞬間かもしれない。しかし、詳細は伏せるが自分の力ではどうにもならない事象をきっかけに3年の前期が始まる直前くらいから精神状態が悪化、「適応障害」という診断を受け取る。薬も処方されたが、太るだけで効き目はほとんどなく、毎日辛い日々を送っていた。 あまり効き目がなく、副作用で太るだけだと強く主張しても診断は変えず、「それくらい耐えるべきだ」まで言ってくる当時の通ってた病院の医者は言っていた。 しかし、やってみたいことがあったので大学院に進学したが、多少は良くなったものの精神状態が劇的に良くなったわけではなく、落ち込んでいるまま研究もあまり進まず、結局精神科の受診を勧誘された。

そこでは発達障害の傾向があると言われ、ストラテラを処方された。作業効率はともかく、今までの薬が効かなかったのが嘘のように精神状態が次第に良くなっていくのを感じ、少し前向きに人生を考えるようになった。 その「きっかけ」となった事象が結構重く、それを先に聞いたら「適応障害」と診断するのも仕方ないとは思うが、これが主な原因ではないということに気づいた。この時期から研究の進捗が少し良くなっていった。

博士課程の入試に合格する(三月)

博士課程に進学するのはその前から決めていたことなので、内部進学の特別入試を受験し、合格した。 受験番号を見るからに全員合格してそうだったが、20分間の発表と20分間の質疑応答はそこそこ重いタスクではあった。 合格自体は難しくなかったものの、嬉しいことではあった。

四月から六月

M2の始まり(四月)

M2になった。新しく入ってきた新入生もいて、年度の変わり目を感じた。 なんの変わり映えのない四月だったが、将来のことで焦り出した時期でもある。

留学生集まるオープンチャットに入って交流を始める(四月)

思いつきて留学生が集まるようなオープンチャットに入ってみることにした。 主に日本への留学を志す受験生が集まるようなところだが、在学生も割といる。そこで今までの自分の経験を共有するとともに、忘れかけている韓国語の練習もしたいと思っていた。 自分で調べなくても韓国の最新トレンドの情報が入ってくるのは楽だと思った。あと、自分が知らないローカルな情報を教えてもらったりするなど、今も適切に活用している。 自分が受験生を手助けすることもあるたまにある。それとともに、「普通」に近い集団との交流にもなり、自分の市場価値について再認識するきっかけにもなった。

学振DC1への応募(五月)

やはり今の研究テーマにあまり興味を持てず、「自分で真新しいハードウェアを作ってみたい」と思っていたことから、博士課程からは全く異なる研究テーマをしたいと思い、学振申請書を作成しながら研究計画を立てていった。 AIチップの開発が盛んになっているこの分野において、あえてAIと関係ないハードウェアの研究をしてみたかった。 考えていることを、申請書に打ち込み、学振特別研究員に応募した。

インチュニブへの変更(五月)

ストラテラが集中力の改善にはつながらないことを伝え、インチュニブを試してみることになった。 ストラテラよりは集中力が改善されたような気はするが、劇的というほどではなく、睡眠に影響をきたすなどの副作用が見られた。 高い薬価も負担になった。

七月から九月

コンサータへの変更(七月)

インチュニブの効き目が弱かったので、コンサータへの変更となった。 18mgからの開始となったが、あまり効き目は感じず、27mgになってから少し感じ、36mgになってから効果を実感できた。 この時期から研究の進捗が以前より圧倒的に早くなり、健常者に近いの集中力を引き出せるようになったと感じる。 処方されたコンサータ

初対外発表(八月)

函館アリーナで開催されたSWoPP 2023において、研究成果を発表した。 その後の国際学会を目指した方が良かったかもしれないが、函館ということで「ラブライブ!サンシャイン!」の聖地巡礼をしたいと思い、函館で発表をすると決めたのである。 コンサータの副作用も相まって発表前後は物凄く震えていたが、無事発表を終えることができた。ついでに、Saint Snow聖地巡礼もできた。 鹿角理亞の自室のモデルとなった部屋。Saint Snowのグッズで飾られている。 函館山からの夜景。決して北海道の南の先っぽの全てを写しているわけではない。

旧友に出会う(八月)

少し寄り道して東京で働いている学部時代の友人三人に出会った。 代々木の少し高めな飲食店で出会い、短い時間ではあったが再会できて良かった。 食事後はそのうち一人の自宅に泊まり、実際エンジニアとしての経験を聞くこともできた。

資格外活動許可(個別許可)を取得し、個人事業主としての活動を開始する(八月)

特に「たくさん金を稼ぎたい」というわけではなく、小さな実験をやってみたかっただけだった。 しかし、コストを自腹で全部賄えるとは到底思えない、どうしてもビジネスモデルを導入するしかない。 そのために入国管理局で個別許可を取得し、開業届を出したが、、、そんなことやる余裕なんてなかった。 来年には少なくとも展開はしてみたい。

二回目の中間発表を行う(九月)

二回目の中間発表があった。ほぼ八月の発表と同じで、同様の指摘を受けた。 といっても、全く進まないと思っていた研究が、ある程度形になっていて発表できたことには感心した。 これからも先、頑張れる気がした。

不安状態が続く(九月)

コンサータの副作用だったと思う。毎日飲み続けたら不安状態が続いた。 これから先が全く見えなく、世間からみたら絶望的な状況でもないけど、明日のことも読めないことが不安の発生源だったと思う。 コンサータの副作用がそれを加速させたかもしれない。 一時的に服薬をやめたら和らげたので、毎日は飲まない方がいいことに気づき、今も休日は飲んでいない。

久々の帰省と何年も顔合わせていない親戚との再会(九月)

発達障害診断について家族と真剣に話し合おうと思い、ほぼ一年振りの帰省を決意した。 ちょうど大型連休とかぶっていたので、何年も顔合わせていない親戚とも再会できた。 数年見てなかった間に小学生だった従兄弟が高校生になっていて顔も認識できなかった。

親戚のラーメン屋。下手な日本のラーメン屋より美味い。なんなら日本でもやっていけるくらい。 見知らぬマンション群が立っていた。住み心地悪そうというのが自分の素直な感想。

DC1不採択となる(九月)

ちょうど帰省している時に結果が出たので確認した。 不採択Cだった。適当に出願者から偏差値出してみた感じ40ちょいくらい。 Webエンジニア的にはとても嬉しい計画だが、研究者から見たらくだらない計画だと思われるのかな。 少なくとも似たような研究はほぼないに等しいのに。

十月から十二月

旧友に出会う(十月)

帰り道を福岡経由にしたのでまだ福岡にいる旧友に会った。 内部進学した学部時代の同期にも会ったので、互いに近況報告もしていた。

びっくり焼き。美味い。

睡眠障害がひどくなる(十月)

睡眠障害がひどくなった。原因不明だったが、寝ても寝ても疲れが取れず、ずっと眠かった。 最初は睡眠無呼吸を疑っていたが、診断結果「あるにはあるけどひどい睡眠障害起こすほどでもない超軽症」とのこと。 耳鼻科に行った方がいいと言われたので、耳鼻科に行ったら「副鼻炎」とのこと。 しかし、副鼻炎は良くなったが睡眠障害はあまり改善されなかった。 原因特定ができず、途方に暮れていたが、まさかアレが原因だったとはな、、、

就活を決意する(十一月)

アカリクラウンジNAIST店ができ、早速常連になった。 アカリクによるキャリア相談もあったので、特殊な事情を打ち明け、アドバイスを求めた。 今までそういう求人ないと思っていたのが、なんと「割とある」とのこと。 その言葉を聞いて就活を決意した。

不眠の原因特定と解消へ、安定期に入る(十二月)

原因不明の睡眠障害だが、適当にYoutube見ていたら「ゾルピデムで不眠が治るところがひどくなった」との動画が流れてきた。 そこで早速調べてみたが、なんと離脱症状としてそういうのが現れることもあるらしい。 その説を医者に伝え、別の眠剤を処方してもらった。 それ以降は不眠は解消され、安定期に入った。

初国際学会への提出(十二月)

なんとか頑張って実データによる検証もできたので国際学会に論文を出すことにした。 初めて英語で論文を書いたが、英弱な自分にはとても難しいタスクだった。 おそらくデータ取るより英語書くのが何十倍も難しかった。 なんとか投稿したので、結果待ち。Reject喰らったら学振不採択より悲しくなりそう。

総括

今までの人生で最も出来事が多かった年だった。厄年とか信じてなかったが厄年感しかない。 しかし、厄祓いせずに厄に正面から向き合うことで成長できた一年だったかもしれない。 再起できそうな気がしてきたし、来年は本領発揮できればいいと思っている。